FC2ブログ

ブックレストラン

読んだ本の記録、感想,評価。☆☆☆☆☆:大好き、出会えて良かった。~☆途中でやめたくなった。まで個人的な評価です。基本的に☆3つ以上はオススメ

Top Page › 児童書 › 高学年以上向き › 『あした、また学校で』工藤純子
2019-12-09 (Mon)  17:48

『あした、また学校で』工藤純子


☆☆☆☆
内容紹介
月曜の朝、小六の一将(かずまさ)に声をかけたのは、幼なじみの咲良(さくら)でした。「一将の弟、荻野先生に怒られて泣いてたよ」。運動が苦手な弟の将人(まさと)は、「できない子は朝練に来て」と先生に言われたのに練習に行かず、しかられたのです。でも、将人にとって、数ある運動のなかで、大縄飛びは「できる」に入ります。将人は怒られなくてはならなかったのか、そもそも大会に勝つことが、そんなに大事なのだろうか……。一将のもやもやを咲良が大問題に発展させていくうちに、一将も咲良も、そして代表委員会メンバーの五年生も六年生も、ひとつのクエッションに突き当たることになりました。「学校は、だれのものか?」。小学校高学年の彼らは、この答えにたどり着くことができるのでしょうか。【対象:小学上級以上】
イラスト:稲葉朋子

物語の始まりは、みんなの前でしかられた2年生の男の子が、学校へ行けなくなってしまったこと。
一将の弟将人には先生の「出来ない子は朝練に来て」という言葉が通じなかった。将人の中で縄跳びは、出来る、の評価だったから。縄跳びの大会に出たいと立候補したのに、他の同級生に大会にでるなと言われて学校へも行けなくなる。
正義感の強い咲良は代表委員会で議題にしようと一将を誘う。
咲良も縄跳び大会に出る子で、現場を見ていたのだ。
ところが委員会の空気は下手なんじゃしょうがない、という空気に。
誰でも出たい人は出ていい大会。なのに勝ちを目指す指導。
五年生の博樹は「足を引っ張る人がいたら迷惑だって思うけどな」
六年の石井梨沙は「何がしたいの?先生に文句が言いたいのならかってに言えば?」
委員会担当のかなり頼りないハシケン先生は
「学校はだれのものかって・・・考えたことありませんか?」
その言葉は、子ども達の心に波紋をおこし・・。

その後、それぞれ登場人物の視点で語られていく
石井梨沙、母親の滝川祥子、博樹、咲良、縄跳びの指導をする子ども達に恐れられている教師荻野

それぞれに苦しい何かを抱えているのだ。
梨沙は母親が小さい時に出て行き祖母と二人暮らしで経済的にもギリギリ。家事をこなして、いつか祖母が寝たきりになったら、認知症になったら、と考えて自分がしっかりしなくては、と考え方もかなり大人で冷めている。大人だって人間、いいも悪いもある。それを一々責めてどうしたいの?と咲良に言い放つ。

将人の母祥子は学校に担任と荻野先生に話しにいくが、うまく通じ合わず、PTAに訴えてみることにする。ところが、家に息子を置いたままこれから仕事に行こうとしていることまで責められて、今回のことはたまたま悪いことが重なってしまった、まずは息子についてあげること、という空気に。
祥子が将人のようないい子をダメというのならもう学校には行かなくていい、と言ったことで、急に学校へ行くと言いだす将人。

「勉強が、運動が、なんだというのだ。ここにこうやって存在していることこそ、たいせつなのに」(P89)

自分を認めてくれる人の力は子どもにとってすごく大切なことなんだよなって思う。

博樹の両親は離婚が決定して、けんかばかりしている。家にいるのは嫌だから学校にいるのはいい。進学塾に通わされているけれど、本当はお笑いを目指したい。

咲良は小さいときから優等生でそれに答えて頑張っているうち、最近息苦しい。どうしてこんなにがんばってるんだろうって。おばの千波に励まされてだれかの期待に応えるために頑張るのではなくて、相手がだれでも自分の意見を言えるようになろう、と決心する。

彼らが頼ったのが、大縄跳び大会の運営の「学校支援地域本部」。PTA以外の学校ボランティア
そんな所に目が行くっていうのがすごい。千波の、先生に言うだけじゃだめで他の先生や子ども達も理解しなくちゃ、という助言がきいているのだけれど。

学校が子ども達の声を良く聞く場所であってほしい。学校は子ども達のものなのだから
集団は色んな場面で順位が、優劣がつく。
学校は評価する所。
けれど、一つ一つの命は、存在するだけで、価値ある優劣なんてつけようがないものなのだと、そんなことも知ることの出来る場所であればいい。

スポンサーサイト



最終更新日 : 2019-12-09

Comment







管理者にだけ表示を許可